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SOSUKE便り vol.4

あっとい間の9月が終わる中、今回はドイツの歴史で勉強したこと、僕の近況について書きたいと思います。

 

なぜドイツは西と東に分かれたのか?

1945年、第二次世界大戦によって、ドイツは米英仏ソに分割占領されます。戦勝国でありながら最大の被害を被ったソ連は、このドイツ全体から多額の賠償金を取ろうと考えていましたが、米英仏は第一次大戦後にドイツに課した賠償金問題が第二次大戦の大きな要因になっているとのことから、賠償金は取らない方針でした。やがて賠償金をドイツから取らせるわけにいかないと考えた米英仏は、ソ連に一言もなく『西ドイツ』で通貨改革を断行(1948年)。これを許すことはドイツの東西分離独立を認めることになってしまうため、ソ連は約1年に及ぶベルリン封鎖で対抗しました。このような経緯があって、1949年にドイツは東西に分かれたそうです。でもこのときにはまだベルリンの壁は構築されていないとのこと。
ベルリンの壁は1961年に構築、資本主義の西ベルリン(西ドイツ)は、物価が高かったものの、物量にあふれ、経済的に豊か。しかし社会主義の東ベルリン(東ドイツ)は、西ベルリンに比べると、とても貧困でした。それで東ベルリンの住民の中から、西ベルリンへ命がけで脱出する人々が現れたのです。それを防ぐために、ベルリンの壁がつくられたそうです 。
へぇ〜 そうだったんだーw 全然知らなかった。
でも思ったことは今でも西と東の言葉のニュアンスであったり、あいさつの仕方が違うことは感じましたね。
それも西と東に分かれたからなのでしょうか?
また機会があれば誰か詳しい人とかに聞いてみようと思います!

 

次は僕の近況ですが、8月から始まったリーグ戦、1.2試合目は書類の関係で試合に出ることができないので観戦となりました。見て感じた事は、ドイツのサッカーはでかいだけにプレッシャーも強く皆アグレッシブルでした。僕はそんな中、俺も試合に出て〜と思いながら見ていましたが、最初から試合に出てなくて良かったかもしれません。もしかしたら大怪我をしてたかもしれません。チームのプレースタイルであったりドイツのサッカーとはどうゆうものなのかも知る事ができ見て良い勉強になりました。
さて3試合目で出れるようになりましたが、最初はベンチスタートでした。後半選手交代!いよいよ出番がきました。出ていきなり決定的なシーンがあったものの緊張のせいか外してしまいました。他にもチャンスはあったのですがここで試合終了。残念な結果となった。
4試合目はスタメンで選ばれました。相手は周囲1位のチーム。簡単に勝てる相手では無いとは思っていましたが僕はその日とても平常心でした。前半が始まりいきなり決められ失点。しかし後半に僕のゴールで追いつく。ここで僕はリーグ戦初ゴールとなった。そして9分後。僕はまたゴールする事ができた。ここで逆転!試合終了。この日僕はチームのヒーローとなった。
そして今週の試合もスタメンでした2試合連続ゴールしたかったのですが、そんな簡単にはいきませんでした。マークも激しく思い通りのプレーができませんでした。そして結果は負けてしまいましたが、個人、チームとしての反省点を見つける事ができました。
でも今回負けたのにも関わらずロストックサポーターの人達が頑張れ日本人と言って僕にハグをしてくれたり握手、サインまで求めに来てくれた人もいました。だから応援してくれてるサポーター、見に来てくれてる方々みんなに感謝してプレーしたいと思いました。そのためにはまずは勝つこと。そしてゴール‼︎来週の試合は絶対に勝ちます!

ついてる!

 

SOUSUKE KIMURA 11

 

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